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「ご一緒します」は間違いでないけど「ご一緒いたします」のほうが良いとされる理由

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〈「ご一緒します」は敬語として間違っている〉 という解説を Web サイトや SNS などで見かけます。

このような断言を目にしても、「自分の使っていた敬語、実は間違ってるのかな…?」と 心配する必要はありません

「ご一緒する」はれっきとした謙譲語 、「お/ご~する」という典型的なパターンのものです。

「ご一緒します」を避けて「お供します」「ご一緒いたします」に直さないといけない、というのは過剰だと思います。

ただ、実際に聞いた人に与える印象を考えると 「ご一緒します」だと不十分で、「ご一緒いたします」のほうが丁寧で敬意がこもっている ように聞こえる傾向があると思います。

この記事では、

  • 〈「ご一緒する」はNG〉という誤解
  • 「ご一緒いたす」が良く聞こえる理由

について解説します。

もちろん「失礼な表現だと誤解されるくらいなら、誤解を受けない無難な表現に言い換える」のは適切な方策だと思います。

この記事の内容は個人の見解であり、所属する会社・組織の見解を代表するものではありません。

1. 「ご一緒する」はれっきとした謙譲語である

Google で検索してみると、このような解説がヒットします。

  • 「ご~する」なので、謙譲語ではなく美化語である
  • 「一緒する」と言わないので「ご一緒する」は謙譲語ではない

しかし、これらはどれも全くの的外れに思えます。「ご一緒する」は れっきとした謙譲語として認知されており、「相手を敬う」ニュアンスが含まれた表現です

「お/ご~する」は謙譲語でなく美化語というのは明らかに誤りですが、初歩的すぎるので説明は省略します。

また、

  • 「一緒」には相手を自分と対等にあつかう印象を与える

という説明も見受けられます。これは明確な誤りではありませんが、〈了解は NG, 承知にすべき〉 と似た、後付けの厳しすぎる規範のような印象を受けます。

また、「ご一緒に」 という表現も、立場が同等の者に対して使う言葉で、目上に向かって使うのは感心しません。

―― 本郷陽二. 大人の語彙力 敬語トレーニング100 (日本経済新聞出版) (Kindle の位置No.569-570). 株式会社 日本経済新聞出版社. Kindle 版.

ある記事の参考文献欄から、上記の書籍にたどりつきました。〈「ご一緒に~」という副詞が不適切、「お供する」を使用したほうがよい〉程度の説明なので、

もしもこれを根拠に「ご一緒する」という動詞を 〈目上の人に使うのに相応しくない〉 としているのなら、これは伝言ゲームのちょっとした失敗だと感じます。

個人的には、上記の説明じたいも、それだけで〈「ご一緒に」は対等な印象を与えるので NG 〉と言えるほど強い説得力を感じられません。


まず、「御一緒する」は辞書にしっかりと掲載されているので、それを見るのがわかりやすいでしょう。

4 (ふつう「御一緒する」の形で用いて)「連れ立つ」「ともに行く」を、同行する相手を敬っていう語。「そこまで御―させてください」

―― "いっ‐しょ【一緒】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2023-07-09)

また、日本語の文法・敬語の研究者による、敬語についての書籍にも、謙譲語の 1 つとして列挙されています。

[「……と」を高めるもの] お別れする・ご一緒する(ともに美化語的な面も。「一緒する」とは言わないが「ご一緒する」は言う)

―― 菊池康人『敬語』(講談社学術文庫、2017、p.285)

筆者注: 「お/ご~する」の形の "謙譲語A" の一覧の一部。

「美化語的な面も」とありますが、下に引用した「お見舞い」のくだりと合わせて考えると、おそらく「謙譲語 A だが、美化語として使っても違和感を覚えない人が多い」という意味で捉えました。

「お見舞い」も、「これから母のお見舞いに行くところです」と他人に向かっていうのがおかしくないとすれば、 これは美化語の用法である(ただ、この場合は「母の見舞いに」といったほうが良い、という語感の人もいるだろう)。

―― 菊池康人『敬語』(講談社学術文庫、2017、pp.385)


この通り、「ご一緒します」は 〈「ご一緒する」(謙譲語)+「ます」(丁寧語)〉 の形式であり、教科書的に見ると、目上の人に対して使う表現として適切だといえるでしょう。

美化語 : 菊池『敬語』では、学校で習う敬語の「丁寧語」のうち、「~です、~ます」を 〈丁寧語〉、「お~、ご~」を 〈美化語〉 と呼んでいます。

謙譲語A : 同書籍では、学校で習う敬語の「謙譲語」のうち、 動作の対象 への敬意をあらわすものを 〈謙譲語 A〉聞き手 への敬意をあらわすものを 〈謙譲語 B〉 と呼んでいます。

2. 敬語は長い方が良い――「ご一緒いたします」がちょうどいい理由

しかし、実際に私たちが話す・書き込むことばを振り返ってみると、 やわらかく丁寧な表現にしたい場面では、「ご一緒いたします」を使っている ような気がします。

これは、おそらく「ご一緒します」だけだと短くあっさりし過ぎていて、 じゅうぶんに敬意が込められていない ような印象を与えてしまうからだと思います。

謙譲語のバリエーションとしては、 「お/ご~する」 だけでなく、

  • 「お/ご~いたす」
    • 例:「ご一緒いたします」
  • 「~させていただく」
    • 例:「ご一緒させていただきます」
  • 「お/ご~申し上げる」
    • 例:「ご一緒申し上げます」
  • 「拝見する」のような別の単語を用いる
    • (該当なし)

のようなものがあります。

「ご一緒申し上げます」だと堅苦しすぎて使える場面がかなり限られますが、 「ご一緒いたします」「ご一緒させていただきます」 については、味気ない印象のある「ご一緒します」と比べると、 ちょうどいい柔らかさ、敬意 を感じられます。実際には、これらの表現がよく使われているのではないでしょうか。

ほかにも、 「ご一緒させていただきたく存じます」 のように、婉曲的な(遠回しな)表現を使って敬意を表現することもあると思います。

〈「ご~する」だから謙譲語じゃない〉 という誤った解説も見当たりましたが、このような「実際の使われ方の問題」と「教科書的な規則」を取り違えてしまったのが原因だと思います。

また、 〈長い語形のほうが短い語形よりも、改まった丁寧な感じがする〉 という意識も、多くの人に漠然とあるようである。

―― 菊池康人『敬語』(講談社学術文庫、2017、p.85)

「お/ご~いたす」は「お/ご~申し上げる」ほど堅くなく、日常的な文脈で少し改まった程度の場合でも使う。「お/ご~する」よりは敬度が高い。 また、頻度としては多くはないが、(中略)Ⅲ人称者を補語として、補語と聞き手両方への敬語として働く場合もある。

―― 菊池康人『敬語』(講談社学術文庫、2017、p.304)

敬語には一定のルールもありますが、このように尊敬・謙譲表現には様々なバリエーションがあります。加えて「~したく」のように敬語とは別に敬意を高めるはたらきを持つ多様な表現があります。

学校で習ったことだけ、マナー本が示す「最善」の表現だけが正解なのではなく、 話し手のキャラクターや、業界、場面、相手との関係によって多種多様な表現がありえる のです。

おわりに:不安をあおる杓子定規な「敬語マナー」記事に惑わされるな

〈「了解しました」は間違い、「承知しました」を使わないといけない〉という謬説はいつのまにか浸透し切ってしまい、もはや 〈そう信じている人に配慮して「承知」を使わざるをえない〉 状態になってしまったことは、記憶に新しいところです。

「自分の話している敬語、実は間違っていたのかも?」 という不安をあおるのには専門的で深い知識が必要ありませんが、多くの人に影響を与えてしまいます。

まずは、 専門家の書いた書籍や国語辞典に目を通すべき です。

ことばの専門家たちは、 基礎的な知識 を持っているのはもちろん、 ことばの実際の使われ方までつぶさに観察 している人たちです。非専門家の感想や、それをコピペした量産記事とは比べ物になりません。

敬語は潤滑油

ことば、特に敬語は、コミュニケーションを円滑にする潤滑油 のようなものです。

手前勝手に作り出された《禁止事項》が、大小さまざまなメディアによって無批判に拡散されて新しい「マナー」になってしまうことで、円滑なコミュニケーションが妨げられているようで、残念に思っています。

たしかに言葉は生き物ですから、古い規範にこだわって変化を拒絶するのはやりすぎです。しかし、 ルールをよく知り、かつバランス感覚を持って運用する ことは 表現の選択肢を増やす ことにつながり、 表現の幅をむやみに狭めない寛容さ を生みます。

創作された「マナー」が無用な軋轢を生むことなく、 ことばの持つ豊かさ生かした和やかなコミュニケーション が社会に満ちあふれることを願います。


サムネイル画像は DreamStudio を使用して「バベルの塔」をモチーフに生成したものです。

付録:敬語について調べるのによい資料